不器用に生きてきましたーキャリア・結婚・妊娠ー

「出産を機に、ここまでいろいろ変えなきゃならないとは、思ってもみなかった」


そう言うと、「将来への見通しが甘かったからだ」「わかったうえで、コンサルになったのだろう。自己責任だ。」と言われることがあります。


確かに、職業選択において「働きやすさ」を重視してきませんでしたし、結婚や妊娠にいたっては、まったくの無計画でした。

けれども、その時々で、不器用ながらも必死に生きてきたことも事実です。

 ここでは、キャリアと結婚、妊娠についての経験を紹介したいと思います。

 

キャリア:「働きやすさ」よりも「やりがい」を選んできた

大学卒業後、大手SIerのSEとしてシステム開発に従事しましたが、数年働くうち、「これって本当にお客様のためになっている?」とモヤモヤするようになりました。

組織に対する違和感で消耗するのは耐えがたく、20代後半で現在働いているコンサルティング・ファームに転職しました。

コンサルタントになりたいからなった」のではなく、「納得して働ける場所と職種を探したら、コンサルタントだった」というわけです。

 

当然、転職後は苦労しましたが、スキルやメンタリティの壁を乗り越えて「お客様に貢献できている」という実感を得るたび、仕事にのめり込んでいきました。

昇格ペースは早くないので、ずっと続けられるとは思いませんでした。

それでも、「仕事を通して、少しでもましな自分になりたい、貢献したい」という思いで、コンサルを続けてきました。

 

結婚:自分には起こらないことだと思っていた

家族計画・展望については、正直、まったく考えてきませんでした。

というよりも、「自分もいつかは結婚して、子どもを持つのだろう」とは、到底思えなかったのです。

 

理由は二つあります。

 

一つ目は、「自分が女性であること」を受容できなかったからです。


私は、保守的な地域で育ちました。

勝気で理屈っぽい性格は、度々「女らしくない」「女のくせに」と批判されました。

また、家庭では、専業主婦の母に対して、父が高圧的に振舞っています。

幼い頃から「女性であることは損だ」「男性だったら、こんなことに苦しまなくても良いのに」「私は、結婚なんてしない」と考えるようになりました。
 

二つ目は、「誰かと親密な関係を築けるはずだ」という自信を持てなかったからです。

 

大学入学後、私は「女性はこうあるべき」という抑圧的な女性観を持つ人と、長期間付き合ってしまいました。
意に沿わない言動をすれば「女性らしくない」と罵られ、別れ話を切り出せば「自分を見捨てるのか」と懇願または恫喝されました。
今から思えば、モラハラです。
けれども、経験が乏しく、また、自信がなかった私は、その人の言葉に捉われ、身動きが取れなくなってしまいました。

数年後に意を決して別れたものの、爪痕は非常に大きく、すっかり自分に自信がなくなってしまいました。
そして、自己嫌悪に陥りながら、「結婚以前に、誰かと親密なパートナーシップを築くことすら無理だ」と感じるようになりました。

 (当時の私は、パートナーシップと結婚、出産はを一続きのものとして考えていたため、「結婚せずに子どもは持つ」という選択肢は考えていませんでした。)

 

「結婚・出産は、自分の人生には関係のないもの」。
そう考えていたので、転職に際して「働きやすさ」は全く重視していませんでした。
第一、新卒入社したのは、世間的には「女性が働きやすい」と評価される会社です。
働きやすさを重視するならば、転職する必要などなかったのです。
けれども、当時の私は、「働きやすさ」よりも、今この時点での「働きがい」を選びました。

 

今でも、この選択自体は後悔していません。
悪戦苦闘しつつも、情熱をもって仕事に取り組んでいたからこそ、仕事への思いやワーカホリックな側面も理解してくれる夫に出会えたのだと思っています。


妊娠:「知りたい」の気持ちで試したら、予想外に早かった

「結婚と出産は一続き」、かつ、「結婚は自分とは無関係」と思っていたので、当然、妊娠についても考えてきませんでした。
けれども、実際には、30代前半で結婚した翌月、妊娠が発覚しています。 

 

子どものいる人生を想像してこなかったのに、すぐに妊活を始めたのはなぜか。

 一言でいうと、「自分は妊娠できるのか、できないのか」を早く知りたかったのです。

 

夫は、自分の収入は高くないので、共働きで子どもを育てたいと望んでいました。
私自身、子どもは嫌いではなかったので、最初から「子どもを作らない」と決める必要はないと考えました。

 

また、30代前半ともなると、「妊娠すること、産むこと」をめぐって、様々な経験をした人と出会います。

「○歳までに妊娠するとしたら、チャンスはあと△回しかない。とにかく子どもが欲しい。」

流産してしまった過去を思い出して、夜中に突然泣き出した知人がいました。

 身体的・精神的な負担が重い(もちろん金銭的にも)、不妊治療をしている人もいました。

 

 「妊娠・出産には、タイムリミットがある」「今の選択で、子どもがいる人生を歩むのが決まる」。
それまで遠い存在だった妊娠・出産が、いきなり現実問題として迫ってきたのです。

  

当時、私は数年越しの大プロジェクトに参画していました。
地方出張が多く身体はきつかったものの、自分が飛翔するきっかけとなる案件の予感がしていました。
「この案件を最後までやりたい」という思いは当然ありましたが、案件の区切りを待っていたら、私は30代後半になります。
妊孕率が年齢とともに低下する以上、いくら何でもそれはマズイと考えたのです。

 

子どもができたら、自分のキャリアはどうなるのか。
また、住んでいる自治体は保育園に入りやすいと言われるが、実際どうなのか。

 

本来ならば、妊活前にもっと突き詰めて考えるべきでした。 

けれども、「望んだからといって、すぐに来てくれるとは限らない」「まだわからないことを考えても仕方ない」を言い訳に、深く考えることを避けていました。

 

「子どもを強く求め、その上で手に入れることができなかったら、どんなにしんどいだろう」と、考えること自体が怖くなった、というのもあります。

  そして、「とりあえず、自分が妊娠できるのか、できないのかを知りたい」、その気持ちと勢いだけでーどうしようもない言い方をすれば、「運試し」の感覚で試みたらー、予想外に早く、妊娠したのです。

 

小さな胎児が写ったエコー写真を見て、「無事に生まれるだろうか」と不安を抱きつつも、ちょっとわくわくしたのを思い出します。
そして、ようやく今後のことを具体的に考え始めたときには、すでに厳しい状況に陥っていたのです。